夏休みの記録 #01 17 Aug 2013
08/09 毎年恒例の野辺山行き。おくさんと息子 T は車、自分と S はサイクリング。例によって S の宿題(自由研究)も兼ねている。昨年は全校生徒の前で発表するという名誉にあずかったため、二番煎じでは芸が無い。しかし新旧の担任を始め何人かの先生方が楽しみにしているようなので今年も挑戦させる、本人もやる気満々(?)の様子。今年は長距離走や山歩きなどの学校行事で持久力に自信を持ち、初めてのロードバイクで目標の笹子峠を登りきるぞと張り切っている。
03:40 出発。皇居から竹橋方面に向かい、半蔵門で 20 号線(新宿通り)に入る、走行経路は昨年と同じ予定。S の体力向上もあって休憩数も減り、自分もほとんどストレスを感じることのない速度で気持ち良く走行する。味の素スタジアムまでは昨年とほぼ同じペース。
八王子あたりで 30 分以上、なんと大垂水峠の頂上では 1 時間以上も早いペースとなる。しかし最近練習不足の自分、峠の登り区間で両脚の太腿前側がピクピクしてきた。何とか誤摩化しながら相模湖を通過するも、太腿の違和感は徐々に強くなる。
上野原の長くて緩やかな登り区間で遂に左太腿がつってしまった、右太腿もつる寸前の気配。慌てて自転車を停め、痛む太腿を我慢しながら Google で「太腿がつった 治し方」と検索して筋を伸ばす、やり過ぎて今度は脹ら脛がつりそうになった。しばらく休憩して再出発。以後、怖くてペダルに力を入れることができない。一番軽いギアかその次くらいでクルクル回すことに専念する。昨年と同様に JR 鳥沢駅で休憩、それでも昨年より 2 時間も早い。日本橋より 100km の標識を過ぎ、笹一酒造で休憩。おくさんに電話して、そろそろ合流地点を相談する。
いよいよ笹子峠のふもとに到着。S にとって 3 度目の挑戦が遂に始まる。1km ごとに小休憩する、「何とかの杉(2/3 くらい登ったところにある観光名所?)」と、峠の頂上にあるトンネルの前では先着した方が待っていること、などを確認して出発。カタチに拘る自分は不安な太腿に注意しながらもペダルを漕ぎ続ける。一方、S は拘り無く辛いときはサドルから降りて自転車を押し歩く。1km ごとの休憩で腰を下ろしている自分を尻目に、S はろくに休まないまま先に進む。座り込んでいても進まないので、再び自転車に跨がる。正面に顔を向ける気力も無い、下を向いて脚が止まらないよう必死にペダルを漕ぎ続ける。既に S の姿は無く、一人で何度かの休憩を挟みつつ自転車を進めているうちに頂上のトンネルに着いてしまった。「何とかの杉」を見落とした。
もちろん頂上に S の姿は無い、トンネルの向こうに S の名を呼んでも反応は無い。普通に考えれば(自分が見落とした)「何とかの杉」のところで S が待っているだろうことは想像できた。うつむいて自転車を漕いでいた自分を S が見落としたことについては、そこで S が自転車を停め、一足先に「何とかの杉」を見に林に入ってしまったからだろうとも想像できた。おいおい、せっかく登ったのに。また下って登るのかよ、、、と思うと目眩がする。とりあえず今度は見逃さないよう、慎重に坂道を下る。「何とかの杉」の大きな看板を発見(こんな大きな看板を見逃したのか)、自転車をおりる。しかしそこに S の姿はおろか自転車も無い。タイミング良く車が登ってきたので、自転車に乗った中学生を見掛けなかったか聞いてみたが、誰も見掛けなかったと言う。携帯電話が通じないため、おくさんと相談することもできない。峠のこちら側にいないということは、やはり約束を勘違いして(S にはよくある)、峠の向こう側に降りてしまったのか、もしくはトンネルの向こう側で待っているのかも知れないと考えた。今となっては冷静さが欠けていたのだと思う、後戻りすることは考えられなかった。もう一度峠を登りきり、頂上にいなければ向こう側に下って、携帯電話が通じるところでおくさんと連絡、合流して S を探すことにしようと思った。再び歩くよりも遅いくらいの速度で自転車を漕ぎ、何度か休憩して、を繰り返して頂上に到着、そのままトンネルの向こう側に進む。微かな期待をしたいたのだが、やはりそこに S はいなかった。
工事中通行止めの頑丈な柵があったが、自転車ならどうにでもなるだろうと深く考えず下って行った。下まで降りて携帯電話が通じれば何とかなると思っていた。甘かった。恐らく 2/3 ほど下ったところで大規模な崩落の工事現場に到着。ぎりぎり歩ける位の路肩がかろうじて残っていたが、延々と自転車を押しながら通過できる保障は無さそう。何よりも、通行止めを無視して侵入してきた自分が工事を一時中断してもらって通行するなど有り得ない。また登るのか、、、随分下ってきたぞ。また目眩がする。気を取り直して自転車に跨がる、ペダルを回そうとしたところで再び脚がつった。もう駄目、自分の美意識(?)には反するが、自転車から降りて押し歩くことにする。あのカーブを曲がりきったら休憩にしよう、次の日陰で休憩にしよう、と挫けそうになる(いや挫けてもどうにもならない)気持ちを誤摩化しながら、やっとの思いで頂上に到着。
またまたトンネルを通過し、戻り道となる峠を慎重に下る。まさかとは思うがガードレールの向こうに S の姿を探してもいた。やがてふもとに到着、携帯電話を手に取ると無数の着信記録が表示された。おくさんに電話する。「S は確保したよ〜」と T の声、おくさんに替わる。どうやら自分の方が遭難騒ぎになっていた様子(そりゃそうか)。「いったい、どこにいるのよ」ということで迎えに来てもらう。ヘロヘロになりながらも自転車を車に積み込みながら聞いた話によると、やはり「何とかの杉」を一人で見に行った S は、自分があまりにも来ないので(実は擦れ違っているのに)何かトラブルでもあったのかと来た道を下って行き、それでもいないので、ふもとの民家の方に事情を話して電話を借り、おくさんと合流したということ。おくさんが来るまで缶コーヒやスナック菓子をご馳走になりながら世間話し(高校生の息子さんに携帯電話を持たせるか否か)、おまけにプチトマトのおみやげまでいただいてしまった(本当にご心配をおかけしました、感謝の言葉もありません)という。合流後、S は再び自転車で「何とかの杉」まで登って捜索、おくさんの車も頂上まで登って捜索後、峠の手前側を戻って連絡を待っていたらしい。S の走行距離は、もう充分に目標の笹子峠走破を達成している。おめでとう、というかゴメン。でも、もしこのトラブルが無かったら 2 人揃って峠の向こう側を下り、泣きながら崩落現場で U ターンしていただろう。というか、そもそも自分の事前調査不足を反省すべき。
中央道に入る前にファミリーレストランで遅めの昼食、トイレで着替える。中央道から長野自動車道に入って長野市に到着。二部屋に別れてビジネスホテル泊。今回の件で S は、口にこそ出さないものの「遂に父親を越えた」と考えている、間違いない。来年はその鼻をへし折ってやる。自分は善光寺と信州蕎麦に誓った。