週末の記録(と、地震と ADSL モデム) 14 Mar 2011
03/11 お義母さまとおくさんは箱根。お義父さまは 4 時頃に小学校から帰ってくる子どもたちと食べに行く事を楽しみにして、昼食を我慢しながら待っている。自分は久しぶりに散髪してくるつもりだった。M+ FONTS の作業に区切りがついて、新版公開の準備も終わった頃、地震が来た。なかなか揺れが収まらないどころか、ますます強く地面が揺さぶられる。路上駐車の車や近所のビルも有り得ないほどに揺れている。長く続いた揺れが収まり、路上に近所の人たちが出てきた。ラジオをつけて情報を得る、震源は東北地方ということで、箱根のおくさんたちは(ここより)大丈夫だろう。と思う間もなく、安否を気遣う電話がおくさんからかかってきた。80 過ぎのお義父さまが「こんな地震は初めてだ」と言うくらいなので、事態の大変さがわかる。ラジオでは津波に対する緊急避難を呼びかけている。時間になっても子どもたちが帰ってこない、非常時プログラムになっているのだろうと思う。5 時になり仕事も終わったので、小学校の様子を見に行く事にした。未体験の強烈な揺れだった割に、道路や建物の損傷は見られなかったが、交通手段を断たれた人たちが歩道に溢れ、バス停や公衆電話に行列ができていた。小学校では父兄引き渡しによる下校措置がとられていた(知らなかった)ので、着の身着のままの子どもたちを引き取ってお義父さまの元に戻る。お昼を食べていないお義父さまは、着替えた子どもたちと開いているお店を探して食事に行く(結局、お寿司!)。自分もとりあえず予定通りに散髪に行く(営業していた)。散髪店ではガスの自動停止を知らずに寒い思いをしていたので、メーターにある復帰スイッチを教える。散髪から戻り、食事から帰ってきた子どもたちと自宅に帰る。お義父さま家も自宅も特に損傷などは無かったが、家の中ではそれなりに物が崩れ落ちているところがあった。お義父家屋上の石造灯籠が 2 つとも崩れ落ち、コンクリートの床に 2 箇所のひび割れを作っていた。自宅では 68k Mac コレクションと 19/21 インチ CRT、大型(かつ旧型)スキャナを載せた机(兼棚)が暴れたらしく、斜めになった机の天板上で CRT とスキャナがケーブルで繋がったままぶらさがっていた。とりあえずケーブルを外して床に退避させる。68k Mac 類はゴム足が棚板に張り付いていたせいか、微動だにしなかった様子(逆に降ろす時に苦労した)。食器、ガラス類は何故かほぼ無事。自転車、バイクも倒れていなかった。こんなタイミングだが、できる時にできる事をしておこうと M+ FONTS の cvs commit と新版公開の告知をしておく。Twitter での告知はとりあえず自粛。近くのコンビニで適当に残り物の冷凍食品などを入手し、適当に夕食とする。自宅寝室にはテレビが無いので、おくさんが置いて行った MacBook で NHK のストリーミングを流しながら、子どもたちと並んで横になる。刻々と伝わる被災地の惨状に言葉を失う。
03/12 昨日の残りの冷凍食品などで朝食。ワークショップの予約を入れていた有明パナソニックセンターは地震のため休館。ということで息子 S は塾に備えて復習(結局、本日は休講となった)、自分は T と家の片付けを始める。昼食はある程度ちゃんとした物を食べたかったので、開いているお店を探しながら近所を散歩する。幸い限定されたメニューながらも営業しているファミリーレストランがあった。帰宅して再び子どもたちと家の片付け、寝室はある程度綺麗になった。箱根から帰ってきたお義母さまとおくさんは、そのままお義父さま家の片付け。T の子ども合気道教室は春休みなので自分のジムもお休み、というか休館していると思う。
03/13 朝食後、頭痛が治まらないので秘蔵するロキソニンを服用して横になる。おくさんと息子 S はお義父さま家に。T と家にあった物で適当に昼食を済ませてから家の片付け。電算室(ようするにオンボロ Mac 他置き場)を整理するにあたり、プリンタと ADSL モデム、ルータ等の電源を落とす。作業後、再び電源を入れてみたが ADSL モデムのエラー表示が消えない。接続した電話機は使えるが、WAN 側は繋がってない様子。マニュアルを発掘してサポートに電話してみたものの、番号が変更されていて連絡がつかない。数年前に対応の市販モデムを見たような記憶があったので、さっさと買ってきて交換した方が手っ取り早いだろうと考える(これが間違いの始まり)。